信仰によって破局を切り抜ける

私たちは、社会的倫理観を大事にしないと、自分の人生を破滅に導きかねません。それゆえに自殺する人たちは後を絶ちません。私の人生を振り返っても、今は父親の擁護のもとに社会生活を送っていますが、そこから一歩外れれば、社会復帰の機会を逸するかもしれません。しかしながら、そういう事態に陥ったクリスチャンたちへの予言をイエスが聖書の中で語っていることを見逃してはいけません。ルカの福音書の第16章に、「不正な管理人のたとえ」という説教があります。そこでは、社会的倫理観を超えたところに信仰があるのであり、社会的倫理観を超えて神に仕える者は、神の前では義とされることが述べられています。そして、神に対して忠実なものは、世の人からも称賛されるであろうことを予言しています。この話では管理人が仕えるある金持ちです。金を横領した管理人は、得意先を味方につけて危機を乗り越えます。それを見た金持ちは、管理人の賢いやり方に感心し、彼をゆるします。このたとえは、イエスの説教の中でもひときわ異彩を放つもので、通常、イエスが神への奉仕について語る場合、雇い主は神にたとえられるのですが、ここでは雇い主は一介の金持ちにすぎません。そこのところに注意して読むと、一見、難解で信仰に反するかのよう見える管理人の行為が理解できるのです。このたとえは、社会と宗教を比較した内容になっているわけです。神に仕えることがしいては、人生の破局をきりぬけることを、イエスは示唆しているのです。コロンブスの卵といったところでしょうか。ルカの福音書の特徴をよく現している一節だと思います。

キリスト教の概要

キリスト教に関する基本的なことをまとめておきました。

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