三位一体とは?
私たちがクリスチャンになるためには、まず何が罪であるかを知る必要があります。それは、モーゼの律法によって定められていますが、それを完成させたのはイエスであり、イエスそのものが私たちにとっての律法であります。そして、私たちクリスチャンは聖霊によってそれを知ることができます。イエスが「聖霊に言い逆らうものは、この世でも、次の世でも、ゆるされることがない」というゆえんです。ですから、何が罪であるかを知るためには、聖霊の導きによって生きているクリスチャンの助けが必要です。彼らの聖霊が皆さんに、何が罪であるかを教えてくれるけっかけを与えてくれます。そして、その罪は、洗礼によってゆるされますが、その後、皆さんも聖霊の導きによって生きることになります。それによって、私たちは何が罪かを知ることができますから、その後、罪を犯すことは聖霊に言い逆らうことになります。したがって、「ゆるされることはない」、つまり神の裁きをうけることになります。イエスは「神は速やかに裁かれる」と言っています。したがって、クリスチャンが罪を犯すことは、命とりになることもあります。地獄の苦しみを味わったあとにゆるされることもあります。新約聖書の「ヘブライ人への手紙」のなかで「神は両刃の剣である」と書かれていますが、命を断たれるか、罪を断たれるかの瀬戸際に立たされるわけです。この仕組みが、三位一体と呼ばれるものです。ですから、キリスト教は決して偶像崇拝の宗教ではなく、神秘主義的な宗教で、神の裁きは現実のものです。
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