悔い改めれば必ずゆるされる
いじめというと、子供の頃のいじめがやっぱり陰湿だと思います。大人になってからは逃げ場がいくらでもあるわけですが、学校でのいじめには逃げ場がない。そういう意味で、子供の頃のいじめがより罪深い。昔のことだからと割り切れるものではない。子供の頃のいじめは、大人になってからのほうがむしろ恥ずべき行為として後にひきづるものだと思います。私も友人のつきあいである友人へのいじめに加担したことがありますが、単発的だし、そんなに陰湿なものではないと思います。小学校4年のころですが、それについては私はそんなに後悔してません。小学校4~5年の頃、ブラスバンドの部活内でいじめがありました。ある友人が先輩にもてあそばれていました。集団でのいじめですが、そんなに陰湿でもないし、私自身は特に加担していたわけではないのですが、傍観していたという罪の意識から先生の断罪をあえて受けました。そんなものですが、実質的に陰湿ないじめをしていたことがあるのではないかという恥の意識から、あえてここで申し開きをしました。被害妄想的ではないかと思われるかもしれませんが、どこで断罪されるかわからないので、あらかじめここで申し開きをしておきたいと思いました。私は陰湿ないじめをしたことはありません。いじめたことのある人を逆差別しているわけではありません。私は中学時代、しれつな集団によるいじめを受けましたが誰一人うらんではいません。しかし、私自身がそのようないじめに加担していたとするなら、私は今、それを恥じるでしょう。しかし、全ての罪は悔い改めることでゆるされます。罪の意識が強い人ほど神の前では義とされます。悔い改めれば必ずゆるされます。それがキリスト教です。そこで誤解されると困るので注釈しておくと、私たちは洗礼によってゆるされますが、洗礼は一度しか受けることができません。悔い改めも、洗礼も一回こっきりです。もしそのあと故意に罪を犯すと地獄の苦しみを味わうことになります。それもまたキリスト教です。
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