イエスの復活

実家で成田山の初詣に付き合い体調を崩し、地獄のような年末年始を過ごしましたが、昨日、ゴッドマザーのフィリピン人女性と会って、いつもの生活に戻ることができて、幸せだなと思うようになりました。新約聖書のマタイの福音書の中の山上の説教と呼ばれる箇所のの第一節目は「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」というものですが、そういうことなのかなあと思いました。一人で宣教するのは大変なことです。キリストも弟子たちを送りだずときには、二人ひと組で送り出しました。「神の国が近づいている」ことを知らせることが派遣の目的でした。キリストの救いの業(わざ)は磔刑(たっけい)つまり十字架のはりつけによって完成したわけですが、その予告をしたわけです。「そのようなことがあってはなりません。」とペトロは言いましたが、「下がれサタン、私の邪魔をするものよ。」とペトロはイエスに叱られました。その後、イエスは復活し我々の上に君臨しているわけですが、そのことを告げ知らせることがイエスの死後の私たちの宣教の目的であるわけです。軽はずみに初詣などに付き合わないほうがいいなと思った年末年始でした。

キリスト教の概要

キリスト教に関する基本的なことをまとめておきました。

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