「神の国」はいつ来るのか?
個人レベルにおいては、クリスチャンになることが「神の国」になることなので、キリストの磔刑によってキリストの救いの業(わざ)が完結したことによって、洗礼を受けた人々は「神の国」に入ったことになります。聖書においては「ペンテコステ」によって精霊の恵みを受けたと使徒行伝に記されています。この時点がクリスチャンの誕生という解釈もできますが、これはあくまでも象徴的な作り話であるというのが私の解釈です。精霊の恵みを受けたとき、洗礼を受けた人々は神の国に入るわけですが、それがいつなのかは人それぞれだと思います。カトリック教会においては、伝統的に「堅信の秘跡」というものを行っていますが、これもまた精霊の恵みを象徴した儀式であって、必ずしもこれによって「神の国」に入るわけではないというのが私の考えです。
国レベルで考えたときの神の国の到来とは、簡単に言うとキリスト教国になったときということになりますが、日本でも戦国時代から連綿と受け継がれている隠れキリシタンの歴史があり、そういう意味では日本にも「神の国」は到来しているといえます。恵まれた人は、幼児洗礼の時点でクリスチャンだった方もいます。これはキリスト教国の特徴で、キリスト教国では生まれつきクリスチャンでない限りは、他宗派に回収しない限りアンクリスチャンがクリスチャンになることはできません。私の場合は、カトリック教会の恩寵に賜り、洗礼を受けることができました。その経緯は複雑なのでここでは割愛させていただきます。
本当の意味での「神の国」の到来とは全世界に福音が告げ知らされたときでしょう。それはまだまだ先のことですが、日本はそういう意味では大部、遅れをとっている情けない国であることをクリスチャンも含めて肝に銘じなければなりません。というよりもクリスチャンだからこそです。
0コメント