モラルの問題をいつ、どう扱うべきか

モラルの問題で階段から転げ落ちていく人物像にはニュースでは事欠かない毎日です。こういったニュースをクリスチャンの観点からどう見るかといいますと、宗教的には全く関係がありません。宗教的な観点からはむしろ、世から見捨てられた人々が歓迎されるということが言えます。仏教へ行くのか、キリスト教へ行くのか人さまざまですが、宗教が駆け込み寺としての機能を果たしているのは事実です。私自身、個人的にそのような事情で改宗された方々がいるのを知っています。しかし、少なくともキリスト教はモラルの問題を裁く場所ではありません。宗教的にはナンセンスです。私自身、モラルの問題を問われたことがありますが、特に洗礼前においては信仰の問題が優先されます。信仰がないのであれば改宗しないほうがいいでしょうし、それは厳密な意味では改宗とは言えません。いったんモラルの問題を自分なりに整理したときに自分の罪が見えてきます。モラルに囚われているうちは罪が見えてきません。モラルの問題に囚われて改宗を考えているかたが、モラルの問題を解消するために改宗する場合は、それが偽善とみなされかねませんからよく気をつけていただきたいと思います。しかし、改宗したクリスチャンはモラルの問題が問われることになりますので、そのへんの順序についてよく気をつけていただきたいという意味です。

キリスト教の概要

キリスト教に関する基本的なことをまとめておきました。

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