殉教の精神を現す「真福九端」

警察官などは勤務中の事故で死ぬと「殉職した」と言われますが、クリスチャンが宣教中に死ぬと「殉教した」と言われます。しかし、基本的に改宗したクリスチャンは皆、宣教中ですので、どのような死に方をするにせよ、死んだときは「殉教した」ことになります。たびたびイスラム教を引き合いに出しますが、ジハーディストは自爆テロを起こして死んだ場合「殉教した」ことになりますが、私自身の見解としては、クリスチャンの場合はそれとは対極にあると言ってよいと思われます。むしろ宣教を放棄したとみなされても仕方がないでしょう。それが、キリスト教で自殺が大罪とみなされる理由だと思われます。こつこつと宣教してその結果、死刑になるというのが、クリスチャンの典型的な殉教のパターンです。12人の使徒のうち、ヨハネを除いた11人が死刑になったと言われていますが、宣教の初期段階においてはどの国においても同じようなことが起こることを覚悟しなければなりません。カトリックではあまり重視されていないマタイの福音書の「真福九端」が正教会では、非常に尊重されていますが、これは宣教者の精神をよく現しているものなので私も大事にしていきたいと思っています。決してヨハネだけが祝福されたわけではないことをこの「真福九端」が表わしていると言ってよいと思います。

キリスト教の概要

キリスト教に関する基本的なことをまとめておきました。

0コメント

  • 1000 / 1000