何のためにミサに出るのか?

キリスト教徒といえば、やはり毎週日曜日に教会のへ行ってミサに参加するというイメージがありますが、私自身は、洗礼式と堅信式を除いて一度しかミサに参加したことがありません。というのも、ミサというのはクリスチャンになるための儀式であるためです。クリスチャンになるためには、キリストの磔刑(たっけい)によって私たちの罪が贖(あがな)われたことを自覚しなければいけませんが、ミサというのはその自覚をうながす意味で行われているものと思います。しかし、私自身は聖書を通してそれを自覚したため、ミサの助けを必要としませんでした。しかし、ミサを通してその自覚に到達する人も中にはいると思いますし、それを前提として教会もミサを行っているので、必ずしも皆さんが私と同じような経過をたどってクリスチャンになるとは限りません。「聖書のみ」を信条とするプロテスタントでもミサを行っているようなので、その意義はけっして無視できないものと思います。私は、クリスチャンのフィリピン人女性との親密なお付き合いがあったので、それが私の回心体験の助けになったのかもしれませんが、皆さんにとっては教会の神父様の裂かれるパンが回心体験の助けになるかもしれないからです。正直なところ全ての神父様がクリスチャンではない、というのが現実ですので、その点は時間の浪費にならないことを願うばかりです。しかし、しかるべきタイミングで、しかるべき信者の助けのもとで洗礼を受けたのであれば皆さんがクリスチャンになるのは時間の問題だと私は考えます。そのとき助けになるのは聖書だとやはり私は思うわけですが、それと同時に、近くに見本となるクリスチャンがいてくれることが皆さんにとっての助けになるものと思うわけです。それが、もしかしたら皆さんにとっては神父様かもしれません。私はカトリックですが皆さんにとってはそれがカトリックの神父様であるかどうかは私にはわかりません。

キリスト教の概要

キリスト教に関する基本的なことをまとめておきました。

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