悔い改める一人の罪人については・・・
新約聖書、ルカの福音書の第19章のところで、イエスは「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」と言っています。また、マタイの福音書の15章でも「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言っています。このことを解説しているのがルカの福音書の15章のところにあるいくつかのたとえ話なんですが、非常に逆説的で一見、キリスト教のイメージからはかけ離れているように思われます。全体を省いて一句だけ引用しますが、「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」とイエスは言っています。もし罪の意識から、自分は救われるにふさわしい人間ではないと思う人がいるとするなら、それこそキリスト教の精神に反することであると思っていいと思います。私もそのような理由から、最初に門をたたいた教会からは冷遇されましたが、それがもとで信仰が認めれるという皮肉な結果になりました。ですから、これから洗礼を受けるみなさんも信仰があるのであれば、もし聖職者が間違っているという確信を抱いたときには毅然とした態度をとっていただきたいと思います。それが転じて正しい道が開かれることでしょう。
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