祈りについて
祈りについて私のわかる範囲で書きたいと思います。クリスチャンと言うと祈りを連想される方が多いと思いますが、私には祈りの習慣がありません。そのかわり、夜、床に入ると毎晩、なぜか苦しくなったのですが、断食を始めてからその苦しみから解放されたんです。そういう意味でも、ダイエットを始めるまでの食生活は、精神衛生上、良くなかったんじゃないかと思います。先週の金曜日に作業所の行事で、パン食べ放題のランチを食べに行ったのですが、その日だけ、久々に夜、苦しくなりました。たかがランチの話ではありますが、不当な利益を得てしまったという意識があったんじゃないかと思います。祈りの習慣こそないですが、そういった種類の苦しさというのは、祈りの心境なんじゃないかと思います。次の日からダイエットを再開しましたが、もう、寝る前にそのような苦しみを味わうことはなくなりました。
また、洗礼前にはマスタベーションの誘惑に苦しんだことが一度だけありました。小一時時間ほどもんどりうちましましたが、それもまた、祈りに属する出来事なのではないかと思います。
そのようなことから私の中では、罪に対する苦しみ=祈り、というような解釈をしています。
ダイエットは苦しいですが、罪に対する苦しみはもっと苦しいです。そういう意味で、私のダイエットは背水の陣なわけです。そこには、罪というものが背景にあるわけです。食べない苦しみの方が精神衛生上よくないのではないかと、揶揄されたこともありますが、少なくとも私の場合は食べる苦しみの方が食べない苦しみに勝っています。
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