本当の正義とは?

今年は27日がイースターなので、25日が聖金曜日つまりイエスの死を記念する日となります。体重制限で苦しいのもありますが、聖週間ということで、イエスが十字架上で飲まず食わずになったことを記念する意味で、精進期のクライマックスでもあります。磔刑というのは結局、餓死することなので、十字架上のイエスを忍ぶということは、断食するということになります。そういう意味で、特にイエスが死んだ金曜日は完全な断食をすることになっています。特に重要なのは洗礼後、回心するために十字架上のイエスを忍ぶことなのですが、回心して一人前のクリスチャンとなった私たちも修行中の皆さんと心を一つにして断食する習慣になっています。これは、一人前のクリスチャンがミサで修行中の皆さんと心を一つにして祈ることと同じことだと思います。私はミサには参加しませんが、皆さんがミサに参加する意義はそこにあると私は考えています。一人前のクリスチャンはもはや聖餐を受ける意味はないのですが、修行中の皆さんのために心を一つにして祈ってくださる人たちが教会にはいるんじゃないかと思いますし、まず聖職者がそうでなければならないのですが、必ずしもそうでないことがあるのは現実です。大事なことは、洗礼を受ける前に悔い改め、信仰告白をし、それを受け止めてくれたクリスチャンがいたかどうかということです。そうでなければ聖餐を何度繰り返しても猫に小判ということになります。イエスはファイサイ派の人たちに向かって「徴税人や娼婦たちのほうがあなたがたより先に天の国へ入る。なぜならばあなたがたはヨハネの洗礼を信じなかったが彼らは信じたからだ。」と言いました。ヨハネの洗礼を信じるということは罪を自覚することに他なりません。犯罪者を断罪することしか知らない、現代の日本人にはにわかには信じがたい教えだとおもいますし、犯罪抑止の面から考えると犯罪者を断罪することは必要悪であると思われますが、司法というものは犯罪抑止のためにあるのであって、本当の意味での正義ではないというのが私の考えですし、イエスの現れた当時のイスラエルでも同じことが言えると思います。

キリスト教の概要

キリスト教に関する基本的なことをまとめておきました。

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