イースター
今日はイースターです。復活祭とも呼ばれ、キリストの復活を記念する日ですが、私たちクリスチャンのいけにえとなったキリストは、回心したその日から私たちの上に律法として君臨しているため、イースターを境にして何か変化があるということは特にありません。改めて意識しなおす必要はないということです。キリストの磔刑と復活は一体となった出来事であるため、磔刑の意味を知ることが、ひいては復活を理解することだと言えると思います。その前提となるのが洗礼という儀式で、洗礼によって、私たちの罪はキリストの血によって贖(あがな)われることになります。ですから、洗礼という儀式はクリスチャンにとっては大変大事な儀式なので、洗礼を受ける前にはある一定の段階を踏まなければなりません。それが、キリスト教の神秘主義的な側面であり、エホバの証人や末日聖徒イエス・キリスト教会などの新興団体はそのことについてかなり、意識的なアプローチをとっていることが、ウィキペディアなどを参照とするとよくわかかります。この原点に立ち返ることが日本の西方教会のこれからの課題だと言えると思います。私自身がカトリック教会の洗礼を受けているのでカトリック教会が全く形骸化しているわけではないと思いますが、通常の洗礼式を見る限りでは一般的には形骸化していることは否めないと思います。キリスト教は洗礼に始まり洗礼に終わると言っても過言ではありません。ただ漫然と年間行事を繰り返すことがクリスチャンの生活ではないということです。
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