幼児洗礼の可否

よく、幼児洗礼でクリスチャンになったという人で、正真正銘のクリスチャンである人に出会います。特にキリスト教国ではほぼ100%が幼児洗礼であるため、正真正銘のクリスチャンのうちのほぼ100%が幼児洗礼であると言えます。実際にクリスチャンであるかどうかをどこで判断するのかというと、それは「兄弟愛」であるとしか説明できませんが、その兄弟愛こそが強力な判断基準となりうるわけです。その兄弟愛で判断した結果、同じ幼児洗礼でもこの人はクリスチャンで、この人はクリスチャンではない、という人がいる。そもそも信仰告白を必要条件とする洗礼において幼児に洗礼を施すということ自体がナンセンスです。それでも幼児洗礼の中に正真正銘のクリスチャンがいるというのはどういうことか。これが神の業(わざ)の神秘です。正真正銘のクリスチャンの母体から生まれた子供たちの中には、洗礼を受けなくてもすでに洗礼を受けたに等しい性質を備えて生まれてくる子供たちが存在する。それによって、キリスト教国においては幼児洗礼によって脈々とクリスチャンの血が受け継がれてくるというわけです。しかしそれは、生まれながら備わった性質であって、幼児洗礼自体には、何の宗教的な意味はないわけです。マルティン・ルターは幼児洗礼を信じていたそうですが、それは彼自身が幼児洗礼を受けたクリスチャンであったからでしょう。しかし、そこには論理の飛躍があると私は思います。洗礼には本来、悔い改めと信仰告白という条件が必要とされています。そして、「罪を赦(ゆる)す」、という最後の一撃が先輩のクリスチャンによって加えられる。これが、洗礼者ヨハネから生まれ、キリストによって完成された洗礼の業であると思われます。しかしキリスト教国においてはほぼ100%が幼児洗礼であるために、プロテスタントで再洗礼を受けたり、エホバの証人やモルモン教こと末日聖徒イエス・キリスト教会などで再洗礼を受ける、あるいは、幼児洗礼を拒否して、最初からそういった教会へと流れているというケースがあるのだと考えられます。そこには、幼児洗礼がナンセンスであるという自覚が根底にあるのだと考えられます。しかし、彼らの信仰は排他的ですから幼児洗礼を完全否定します。しかし幼児洗礼を通して脈々とクリスチャンの血が受け継がれてきているという事実が存在することは決して否定できません。私は成人になってから洗礼を受けましたが、私に洗礼を授けたのは、幼児洗礼が主流であるローマ・カトリック教会であり、その私が正真正銘のクリスチャンであることを私自身は疑いません。

キリスト教の概要

キリスト教に関する基本的なことをまとめておきました。

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