婚姻の不解消性について

キリストは一度、結婚したら特別な理由がない限り、離縁してはならないと言っています。これをキリスト教では婚姻の不解消性(indissoblity)といってカトリック教会では特に重んじられています。私も原則としては、信じていますが、現実はもっと複雑です。日本はキリスト教社会ではないので、19世紀のロシアの小説家チェーホフの作品などを通して勘案するに、結婚して家庭を持ってから運命的な出会いをすることもあり、そうした場合、ひどく苦しむことになります。それがキリスト教における神の裁きです。また、苦しむことでゆるされるのがキリスト教であったりもするわけです。それが神のゆるしで、キリスト教の神は両刃の剣なわけです。私も改宗してから故意に罪を犯して苦しんだ経験があるので、神の裁きとゆるしの意味が理解できます。話を元に戻してindissolublityということですが、チェーホフの小説のようなケースも考えると一概には婚姻に限った話ではないと私は考えます。婚姻の秘跡というのがカトリックにはありますが、プロテスタントにはないので、事実婚というのが成立してindissolublityにつながるということもケースがあってもおかしくはないと思います。キリストの言う離縁というものもそのような意味で解釈すると、離縁をして、他の女性あるいは男性と婚姻した場合は姦淫の罪を犯したとになるという、ことの意味も見えてくるような気がします。つまりカトリックでいうような婚姻に限った話ではないという意味です。もっと広い意味で解釈する必要があると私は考えるわけです。事実婚であっても他の女性あるいは男性と交渉した場合、姦淫の罪を問われるということです。そういう意味では、カトリック以上に厳格な解釈と言えなくもないと思います。それが私の考えるindisslublityです。



キリスト教の概要

キリスト教に関する基本的なことをまとめておきました。

0コメント

  • 1000 / 1000